瀬戸内海一周旅行8:倉敷の歴史についての学習編

勉強開始

瀬戸内海一周旅行7からの続きです。

ロードバイクに乗って大阪から倉敷まで200km走ってきました。瀬戸内海一周旅行としての最初の宿泊地の倉敷ではユースホステルに泊まったのですが、残念なことにこの日ほかの旅行客とは会えませんでした。

部屋にいても暇なのでロビーで地図を眺めているとオーナーさんが訪ねてきます。「君はきびのまきびを知っているか?」と。わからなかったので知らないと答えると「そりゃいかん、勉強しておきなさい」と言って一冊の本を手渡してきました。

この本は倉敷の歴史について簡単に紹介している本でした。することもないのでこの日はこの本を読んで倉敷について少し勉強することにします。覚えている範囲でメモとして残しておきます。

そもそも倉敷というのは観光客などからすると美観地区を中心とした倉敷駅周辺のイメージがありますが、意外と広いようです。というのも周辺の自治体と合併を繰り返して拡大していったからだそうです。

そして、吉備という地域もこの倉敷に分類されるようです。で、先ほど出てきた「きびのまきび」というのはかつて実在した人の名前だそうで、漢字で書くと吉備真備となります。

この吉備真備はいわゆる遣唐使として当時の中国にわたって学問をおさめたようです。その後日本に帰ってきてからその能力の高さから出世していき、のちに右大臣にまで上り詰めたといいます。右大臣は実質国政のトップにあたる役職だそうですが、このことから吉備真備本人の能力の高さもそうですが、当時この吉備を中心とした倉敷地域そのものに大きな力があったからだということです。

私は全く知らなくて驚いたのですが、もともと倉敷のあたりは海が広がっていたようです。いつのころからか開拓していき田畑を増やしていったそうなのですが、この日泊まった倉敷ユースホステルなどがある向山公園などのこんもりとした高台などは大昔は島になっていたそうです。

さて、そんなことがありつつ、その後だいぶ時間が経過してから倉敷がこの世の春を謳歌する時代がやってきます。それが江戸時代です。

江戸時代に倉敷が非常に栄えたそうなのですが、それは交易によってだったようです。現在の美観地区に流れる倉敷川には当時多くの船がやってきました。日本の西から東へ、またその逆もしかりですが、日本中から商品を載せた船が倉敷を中継地点にしていたそうなのです。この交易によって倉敷の商人たちは莫大な富を得たといいます。

そして、その景気の良さがしばらく続いたこともあり、特に大きな商人たちは政治面にもその影響力を発揮してきたといいます。当時は古家と呼ばれる13の家の連中が倉敷の実権を握っていたのですが、新たに力をつけてきた商人たち新家がそれに代わり自分たちの街のことを自分たちで決めるようになってきます。そのため倉敷は江戸時代には非常に珍しい自治体として発展していくことになりました。

現在、美観地区に大原美術館がありますが、この美術館を作った大原家はこの新家のうちの一つだったそうです。

しかし、この繁栄も転換期を迎えることになります。というのも江戸時代が終わり、明治時代が始まったからです。

それまでは日本中の品物は船によって運んでいました。当時の船は今の蒸気船のようなものではなかったため、転々と陸伝いを停泊しながら移動していました。しかし、明治に入り、西洋の技術が入ってきたことによって商品の運搬は汽車を使って陸路で運ぶように変わってしまったのです。

当然そうなると今まで倉敷川を中心として栄えてきた倉敷は状況が一変してしまいました。普通ならばこの変動によってさびれてしまうことも珍しくないのでしょうが、倉敷の人たちは知恵を絞り新たな産業を発展させます。新しく出てきた産業というのは紡績工業でした。これにより倉敷には生地を扱う職人が大量に生まれることになりました。

そして、現在は倉敷の中の児島などは世界的にも有名なデニムの産地となっています。デニムとはいわゆるデニム生地を使って作られたジーンズのことですが、倉敷ではデニム生地の生産からジーンズの完成までをすべてこの地域でできるようになっています。これは世界中探しても倉敷以外でできるところはないそうです。

というのも明治以降から紡績が発展してきたため、生地の生産や加工、染め、縫製など各分野のエキスパートが倉敷に存在していたからこそ一貫して製造できるシステムができたそうなのです。児島のデニム自体は知っていましたが、こんな経緯があったとは知りませんでした(というか児島は倉敷とは別だとばかり思っていました)。

現在は観光の倉敷とジーンズの児島のほかに水島エリアのコンビナートや玉島の港などがあります。倉敷の観光に来たときにはちょっと足を延ばせばいろいろなところが見られるのだなと思いました。

以上、勉強は終了です。この本を流し読みしてからすでに2か月近く経過しているので間違っている箇所があるかもしれませんが、だいたいはこんな感じだったと思います。我ながら意外と覚えているものだなと思いました。通常ロードバイクで旅行すると走ること自体が目的のため観光することが無いため、その地域の歴史などは詳しく知らずに終わってしまいますが、いい勉強になったと思います。オーナーさんありがとうございました。

さて、本を読み終えたころには11時近くになっていました。結局ロビーにはほかの宿泊客は現れなかったため、寝ることにします。いよいよ2日目に突入します(瀬戸内海一周旅行9へ)。

目次

  1. 自転車旅行計画編
  2. 大阪~神戸編
  3. 明石~加古川~姫路編
  4. 恐怖の船坂トンネル編
  5. 備前市を越えて岡山後楽園での昼食編
  6. 一泊目目標地点のの倉敷ユースホステル到着編
  7. 倉敷の街とユースホステル編
  8. 倉敷の歴史について編
  9. 2日目の倉敷~尾道編
  10. しまなみ海道と人との出会い編
  11. しまなみ海道の本当の魅力編
  12. しまなみ海道中盤編
  13. しまなみ海道~鈍川温泉カドヤ別荘編
  14. ロードバイクにやさしい四国の旅館編
  15. 3日目の出発直後に起こったトラブル編
  16. 四国は自転車のメッカになれると感じる讃岐街道編
  17. 10kmアウターヒルクライム編
  18. 昼食・昼寝とその後の状況変化
  19. 空気の壁に激突しながら徳島到着編
  20. 徳島ユースホステルと幻の景色編
  21. 迷いに迷った南海フェリー編
  22. 和歌山港~大阪帰宅編