ドーピングと体罰問題を合わせて考える

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最近はドーピング問題や体罰問題などいろいろなことがニュースを騒がしており、少し考えてしまうところがあります。

ドーピングについては今、本場ヨーロッパのロードバイク選手がドーピング使用についての告白などを行っています。伝説的な選手のランス・アームストロングをはじめとして元チームメイトのほかにもラスムッセンなども12年ドーピングをしていたといっているようです。

対して体罰問題は主に日本国内のニュースとして出てきていますが、特に柔道選手のように大人に対する体罰を取り上げてみようかと思います。

体罰というのは当然ですが到底褒められる行為ではありません。しかし、いまだに体罰があっても仕方がないのではないかという意見もあるかと思います。

その理由としてよくあげられるのが次のようなものではないでしょうか。

  • 実際のところ体罰は昔から行われてきた
  • 勝つ選手を作るためには多少体で覚える必要もあるのではないか

これらのいわんとしているところは分からなくもありません。暴力や暴言は絶対に許されないことですが、体で覚えさせるというのがすべて悪いのかというところでしょう。

しかし、これはよく考えるとドーピングの問題とそっくりなのです。

本場ヨーロッパのロードレース界のみならず、ほかの種目でもそうですがドーピングははるか昔から存在し、今もなおなくなりそうにないほど蔓延しています。

ランス・アームストロングなどはドーピングの告白をテレビ番組で行った際、「昔の選手はみんなやっていた。やらなければ勝てなかった」と証言しています。このテレビ番組ではこれまでドーピングがいけないものだという認識が無かったとも言っています。というのは「勝つためには当然の行為であり、食事をしトレーニングを行うのと同じようにドーピングが存在していたからだ」といっています。

この考え方から行くと「勝つためには何をしてもいい」ということになるでしょう。しかも昔からみんながやってきていることだから悪いことではないという判断をすることになります。

そして、この勝つためには何でもありということから「勝たせるためには何をしてもいい」という考えにつながってきます。つまり本人がドーピングを行う以外にもそのほかのチームメイトに対してもドーピングを強制することになるのです。

実際、元チームメイトの一人はドーピングを強制する雰囲気が出来上がっていた、それを断ることは選手生命を失い覚悟以外では示すことができなかったと証言しています。ランスの場合は自分からチームメイトに進めたことはないといっていますが、無言の圧力はあったかもしれないといっています。

また、ランスのツール・ド・フランスの優勝記録はく奪を受けてロードレース界から撤退したラボバンクがドーピングとの関わりを問われています。これはスポンサーであるラボバンクが積極的にドーピングにかかわっていたという証言が出ており、今のところは捜査中ということです。もしこれが事実であればチームそのものの存続やチームの方針・意向を握っているスポンサーから迫られればどんな選手でもドーピングを受け入れざるを得なかったのではないかと思います。

このように実際に競技を行う選手本人ではなく他者からの強要という意味では体罰問題も全く同じであると思います。柔道でいえば体罰を伴う指導について反論すればオリンピックには出られなくなってしまうという圧力がありました。ですが、たとえ体罰によって柔道選手の金メダル獲得数が増えたところでその指導には全く価値がないと思います。

本来、なぜドーピングが禁止になったのかというと「体に悪いから」です。つまり薬の影響によって肉体が壊れてしまうからです。これに対して体罰は「精神に悪い」のが問題でしょう。心が壊れてしまうのです。やはり、どんな理由を並べたところでドーピングも体罰もなくしていかなければいけないと思いました。

少しでも改善してくれて、スポーツを通して明るいニュースが茶の間を沸かしてくれる未来が来てほしいなと思いました。